疫病の記録(1)
昨日書いた「「疫病退散」お札復刻!」、熊野大社によると山形新聞の記事の反響はかなりのものだったらしい。昨日は、新聞記事にあった安政5年(1858)の記録についてだけ書いたが、「年代記」には他にもいくつか疫病の記録があった。
◎天保3年(1832)3月、《御城下ねつ病はやり 別而下町家こと残りなく わツらる成り人数百人斗死す》とある。天保4年に始まる天保大飢饉の前年、地震あり、大雪あり、雷あり、《盆過きヨリ 不天気度々》とある。

《八日に町へ おししさま出ル》とあるのに注目。熊野山のお祭は、旧暦なので6月15日、その一週間前のお獅子出動は「ねつ病」退散のためか。
実は昨日、獅子冠事務所の役員会があってここのところを紹介したところ、「じゃあ今年もやらねば」の声が上がったが、「待て待て、早まるな」。今のわれわれ、実際どこまで身の危険を感じているか。当時はまさに《毎日ねつ病ニて 一人り二人りツヽ 死ス》の状況だったのだ。それを思えば軽々しくお獅子様の御出動を願う事態ではない、と押しとどめた。
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